神戸での1年間


いよいよ神戸での生活が始まりました。
会社の3階に従業員が寝泊まり出来る6畳程の小さな部屋が2つ有り、そこで生活をする事になったのですが、言うまでも無くとても快適な生活とはなりません。
部屋に有るものはベッドとテレビと小さな収納棚位で、トイレも風呂も冷蔵庫も共同です。
仕事は8時半から17時半までで、会社の1階が私の作業場でした。
社員の方々はとても優しく、私の面倒を見てくました。
食事は全て自分で用意しなければならなったので、昼食は近くの小さな大衆食堂で仲良くなった若手社員の方々と一緒に食べに行くようになりました。
食事が終わってからは、会社の前の道路で若手社員とキャッチボールをして時間を潰すと言う、まさに昭和の代表的な昼休みの光景です(笑)
スマホも無ければパソコンも無い時代でしたので、昼休みの定番と言えばキャッチボールか新聞を読むか、雑誌を読むかです。
そうそう、思い出しました。
会社近くの良く行っていた喫茶店には、インベーダーゲームが有りましたね。
その頃はインベーダーゲームが大流行で、私も随分と嵌まりました。
仕事の方はと言うと、元々機械関係は得意だったので一か月位で殆ど覚えてしまいました。
始めの約束は、3ケ月間で全て覚えて東京へ帰ると言う事で私も承諾したのですが、思ったよりも早く覚えてしまったので、父に連絡をしてもう東京へ帰るので引っ越しの手配をして欲しいと頼みました。
しかし、その要望は叶わず、3ケ月過ぎても帰れず、半年が過ぎました。
半年も生活をしていれば、仕事関係以外にも友達が出来たり、姫路や伊勢や四国を観光したりと、東京からでは中々行けない場所にも行けて楽しい部分も有りましたが、やはり東京生まれの私には東京が一番住みやすいし、何といっても気心知れた友達が沢山居るのです。
結局私は丸々1年間を神戸で過ごす事になりました。
これは後から知った事ですが、神戸の機械メーカーの社長と父との間では、始めから1年間と言う話になっていたらしく、それを言えば私は承諾しないだろうと思い、3ケ月と嘘を付いて私を神戸へ行かせたようです。
全く酷い話です。
東京へ戻ってからは父の後を受け継ぐ形で事業を広げ、バブル景気も手伝って業績はどんどん伸びて行きました。
しかし、バブル景気も1989年に崩壊を迎えて、建設関連の会社は倒産が相次ぎ、我が社もその影響を受け事業を縮小していきました。
そんな矢先に父が倒れ帰らぬ人となり、私は父の会社を辞め独立しました。
それから数十年たち現在に至る訳ですが、現在は何をやっているのかと言うと、ゴルフコーチをやっています。
コロナの影響からゴルフが安全と言われ、若者の間でブームになってはいますが、ゴルフコーチだけで生活出来るだけの収入は無いので、コーチ以外にも自動車関連の仕事を請けながら生活をしています。
こうして人生を振り帰ってみると、私は何になりたかったのか?
ただ、成り行きに任せた流された人生だったような気がします。
唯一、ゴルフコーチはやってみたかった仕事でしたので、生徒さんにゴルフを教えている時は凄く幸せを感じます。
この先、何年コーチとしてやって行けるか分かりませんが、残りの人生楽しみたいと思います。





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