神戸へ行くことに


父親の仕事を継ぐ事になった私は、元々機械いじりが好きだった事も有り、機械修理に関しては何の抵抗も有りませんでした。
始めのうちは父に修理を教わりながら、その他全般的な事を覚えて行けば良いと考えていたのですが、父から言われた事は神戸へ行って修理を完璧に覚えて来てほしいと言う意外な申し出でした。
なぜ神戸なのかと言いますと、父親の会社で扱っている建設機械のメーカーが神戸に有るからだったのです。
私の父は昔からその仕事をしていた訳ではなくて、ずっとタクシー運転手をしていたのです。
しかし、40歳を過ぎた時に身体を壊し、運転手を断念して今の仕事へ鞍替えしたのです。1
では何故機械屋を始めたのかと言うと、この神戸に有る機械メーカーは我が家の親戚が経営している会社だったのです。
身体を壊し、もうタクシー運転手に戻れなくなった父に、この親戚から声が掛かったのです。
父も悩んだ末にその話を受け入れる事にして、半年間神戸に修行へ行ったのでした。
しかし、40過ぎから始める全く経験の無い職種だったので、父は完璧に全てを覚える事が出来なかったのです。
そこで私に白羽の矢が立った訳です。
機械関係に強かった私は3カ月有れば完璧に覚える自信が有ったので、その位の期間なら良いかと言う軽い気持ちで神戸行きを引き受けました。
なんでも、その神戸の会社には住み込みが出来る従業員用の部屋が有るらしいので、私もそこに住み込む事になりました。
1979年6月、私は少し大き目のバッグに生活に使用最低限の荷物を詰め込み、東京駅から新幹線で新大阪駅へ向かいました。
新大阪から梅田 駅まで向かい、そこからは阪神本線の魚崎駅で下車。
勿論、大阪も神戸も初めて訪れる場所です。
阪神本線の車内には学校帰りの女子高生が大勢乗っていて、関西弁が飛び交っているではありませんか。
テレビの漫才とかでした聞いた事のない関西弁が、目の前で凄い勢いで飛び交っているのです。
正直言って、ドン引きしました。
まるで外国に来た様な気分でした。
それはさて置き、いよいよ私の新天地での生活がこれから始まるのです。





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